巨人の吉川尚輝選手は、2016年のドラフト1位指名の選手です。
それだけに、期待されている若手選手の1人です。
そんな吉川尚輝選手の背番号は0を付けていますが「なぜ0なのか?」「これまで誰が0を付けていたのか?」という事は気になるところではないでしょうか?
今回は、吉川尚輝選手の背番号が0である理由やこれまでどんな選手が背負ってきた番号なのかを紹介していきます。
吉川尚輝選手の背番号が0である理由!
吉川尚輝選手が背番号0である理由は、川相昌弘氏が付けていた背番号だからと言われています。
吉川尚輝選手が入団した当時、川相昌弘氏は三軍監督です。
川相昌弘氏は犠打で世界記録を樹立しているだけあり、理由としては納得できます。
しかし、実はあまり評判がよくありませ・・・。
なぜなら、期待の新人に背番号0はそぐわないイメージだからです。
他球団も、主力選手が背番号0を付けるケースはほとんどありません。
そのため、吉川尚輝選手の背番号0は、あまり評判がよくないのです。
逆に言えば、吉川尚輝選手が大活躍すれば、背番号0の代名詞になるチャンスでもありますから、吉川尚輝選手の今後の活躍に期待しましょう。
吉川尚輝選手が付けるまでの背番号0は誰が背負ってきた?
<1999年以前の背番号0(巨人)>
吉川尚輝選手が背番号0を付けるまで、巨人では誰が背番号0を付けていたのでしょうか?
まず、巨人で最初に背番号0を付けていたのは長岡久夫氏です。
1946年~1947年まで背番号0を背負っています。
しかし、1軍公式戦に出場したことはありません。
次に背番号0を付けたのは、川相昌弘氏となっています。
1989年に背番号60から背番号0に変更されたのです。
その後、1989年~1999年の10年間にわたって川相昌弘氏が背番号0を背負っています。
そのため、巨人ファンとしては、“背番号0=川相昌弘氏”のイメージが強いかもしれません。
<2000年~2009年の背番号0(巨人)>
2001年から背番号0を背負ったのが川中基嗣氏です。
1998年に巨人に入団した川中基嗣氏ですが、2001年に背番号0となって2006年まで付けています。
2007年からは、木村拓也氏が背番号0を背負っていて、その後、2009年まで木村拓也氏が背番号0を付けていたのです。
ちなみに、木村拓也氏は走守の揃ったユーティリティープレイヤーであり、外野・一塁手・二塁手・遊撃手・三塁手・捕手として1軍出場経験があります。
つまり、ピッチャー以外のどのポジションもこなすことができた選手だったのです。
<20010年以降の背番号0(巨人)>
2010年~2011年の途中までは、工藤隆仁氏が背番号0を背負っています。
2011年の途中で工藤隆仁氏は大村三郎氏(サブロー)とトレード移籍をしています。
これにより、2011年途中からは大村三郎氏が背番号0を付けているのです。
その後、藤村大介氏が2012年~2016年まで背番号0を背負っており、吉川尚輝選手へと繋がっていくのです。
ちなみに、藤村大介氏は盗塁王に輝いたこともあり、俊足を武器にした選手でした。
そのため、吉川尚輝選手に背番号0が受け継がれているのも納得かもしれません。
まとめ
今回は、吉川尚輝選手の背番号が0である理由と巨人の背番号0の変遷について紹介してきました。
吉川尚輝選手の背番号0なのは、川相昌弘氏の影響によるものと言われています。
当時3軍監督だった川相昌弘氏の現役時代の背番号にちなんで、ドラフト1位の吉川尚輝選手に背番号0をあてがったとされているのです。
とは言え、背番号0の変遷を見てわかる通り、あまり球団の主力選手が付ける背番号ではありません。
どちらかと言えば、脇役クラス(縁の下の力持ち)の選手が付けているイメージです。
逆に言えば、吉川尚輝選手が背番号0で活躍できれば、イメージを一新することができるでしょう。
今後の吉川尚輝選手の活躍に期待しましょう。
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